何事もそうではあると思うが、上を見ればきりがなく、下を見ればそれもきりがない。音楽を聴くための道具もそうではある。しかし、今回の真空管アンプをじっくり聴いていて思ったことは、非常に複雑な回路構成を持つ最新のトランジスタアンプと、この昔ながらの(そのように言っていいのかどうか?)真空管アンプを比較して、どれだけの進歩がこの数十年の間にあったのだろうかということである。
確かに、音楽再生の装置としてのピュア・オーディオのハイエンドは次元も高く完成度を増してはいっているのだろう。しかし、真空管アンプとしては比較的低価格なTRV-A300SEのようなものの存在も、その再生能力から見れば、十分に意味のあることだと思う。
今の時代に真空管アンプもまだまだ多く生き残っている。思ったよりもである。それは単にそれが主流だった時代に生きてきた人たちの時代へのノスタルジー、あるいは懐古主義のようなものだけなのだろうか? 確かにそれもあるには違いない。しかし、真空管アンプの音を聴いてみると、決して古くさい音がするわけではない。 |
真空管というデバイスを用いても現代的なアンプを構成できるというだけのことでもあり、加えて真空管ならではの音というのもあり、また真空管ならではの見た目のある種の美しさや、暗闇に光るカソードヒーターのやわらかな光の暖かさや、見たことのない人には、こんなもので音がだせるのかという少しの驚きなデバイスという存在感なのか?
いすれにしても、全てが画一的である必要はない。真空管も存在できるところまで存在すればいい。存在できるということは、そこに何かがありそれを求める人が居るということであり、多様な感性が存在するということでもある。
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